神道の三大神勅を考える
今日は沖縄戦の慰霊の日です。
73年前この国では悲惨な戦争が行われていました。
最近は神道の心が胸に響いている守護神が邇邇芸命の「どっしりとした猿」こと川上です。
北九州でスマホガラスコーティングSAVERをやっています。
先の大戦の終戦後、連合軍指令長官マッカーサーと天皇陛下の会談を不思議に思っていました。
天皇陛下がGHQを訪問した際、出迎えをしなかったマッカーサーが陛下のお帰りの際は予定を変更して玄関先まで見送りをした。
何がマッカーサーの態度を変えたのか?
調べるとそれは陛下のお言葉だったのです。
「戦争の責任は全て自分に有る」
「自分はどんな処罰をされても良い」
「ただ国民が飢えないよう様お願いしたい」
これは天照大御神が天孫降臨の際に邇邇芸命に知らしめた三大神勅です。(古事記には書かれてません)
歴代の天皇陛下が守ってきた日本の心です。
「戦争の責任は全て自分にある」(君主としての自覚を持つこと・・・天壌無窮の神勅)
「自分はどんな処罰をされても良い」(自我を取り払い自らが律すること・・・宝鏡奉斎の神勅)
「ただ国民が飢えないよう様お願いしたい」(民を育て国を繁栄させる・・・斎庭稲穂の神勅)
この三大神勅は日本人に天照大御神が知らしめた様な気がします。
私は
(君主としての自覚を持つこと・・・天壌無窮の神勅)
家族、家庭又は社会の一員として自覚を持つこと。
(自我を取り払い自らが律すること・・・宝鏡奉斎の神勅)
浴室で穢れを払うための禊ぎをを行い、鏡に映る自分を見つめ直す。
(民を育て国を繁栄させる・・・斎庭稲穂の神勅)
スマホガラスコーティングSAVERや八百万の神カードを知らして収入源としてもらう。
ことを行っています。
自分が迷ったとき「自分のの三大神勅は何か?」を考えると見えるものもあると思います。